
14日間で7800kmを走るアドベンチャーラリー、「トランスシベリア2008」を完走して、3週間ぶりに日本に帰ってきた。
ロシアの首都モスクワをスタートして、一路、東へ。ヨーロッパとアジアを隔てるウラル山脈を越え、モンゴルへ。モンゴルも横断し、首都のウランバートルでフィニッシュを迎えた。
ドライバーの小川義文氏とナビゲーターの僕は昨年に引き続き、2度目の参戦だ。ラリーカーは、ポルシェのヴァイザッハ研究開発センターで専用に開発製作された「カイエンSトランスシベリア」。エンジンはスタンダードに準じるが、トランスミッションは最終減速比が下げられている。ボディとシャシーがラリー用に補強され、リアシートが取り払われ、そのスペースにはスペアタイヤとウインチ、工具、テントなどを積む。
結果は、昨年よりもふたつ上げて、総合10位、クラス9位で完走することができた。大きなトラブルやアクシデントを起こさず、クルマのコンディションを損なわなかったことが、完走につながった。
チェックポイントの見落としによるペナルティも1度で済んだのも、他チームよりも少なかった。ただし、ロシアでの初日のスペシャルステージで、森の中のぬかるみで“スタック渋滞”にハマり(僕らもスタックしたが)、時間切れでゴールできず、10時間のペナルティを喰らったのが、あとあとまで尾を引いた。
それにしても、今年はハードなステージが続いた。スペシャルステージ自体は、昨年よりも距離が短縮された区間が多かったが、よりハイスピード化されたことによって、激しいクラッシュが続出し、ヘリコプターで病院に搬送されたドライバーもいた。そのうちのひとり、サイード・アルハジャリのアクシデントは全員に衝撃を与えた。1986年のファラオラリーでポルシェ959で優勝したことのある中東の名人アルハジャリは、いつも穏やかな紳士そのものだった。「オフロードで速く走るためには、脚だけではダメだ。大切なのは、眼だ」
ただ、スロットルペダルを踏んで飛ばすのではなく、路面状況をよく見ることの重要性を、昨年、僕に教えてくれた。それほど、オフロードでの運転を知り尽くしているはずのアルハジャリがモンゴルの草原をスパートしている時に、草に隠れていた溝にクルマを強打させ、腰を痛めたのだ。彼らはリタイヤし、ホブトの村からウランバートルへ出て、北京経由でミュンヘンの病院に搬送された。

トップチームはプロのラリードライバーやナビゲーターを雇い、競走が白熱化した結果だ。無理をせず、完走を第一目標として走っていたオーストラリアチームも、最終日前日に不運に見舞われた。マシントラブルで、大きく順位を落とした。修復はできたが、フィニッシュを前にして再び悪化。大人しく走ったつもりでも、コースが過酷で、距離が長いことが止めを刺した。
僕らがほぼ無傷でフィニッシュできたのも、多少の幸運に助けられた側面を否定できないだろう。でも、首筋と背中の筋肉痛だけは、整体治療に通っても、まだ消えない。この痛みが、今でもラリーの過酷さを物語っている。