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BENTLEY Mulsanne(ベントレー・ミュルザンヌ)

 

  ベントレーの中核車種アルナージの後継となる「ミュルザンヌ」が、アメリカのペブルビーチ・コンクールデレガンスで発表された。

 

  ベントレーの新型を発表するのに、ペブルビーチ・コンクールデレガンスほどふさわしい場所はないだろう。世界中から第一級のヒストリックカーが集まり、美と粋を競う。歴史とデザインとブランドの響宴だ。プレミアムカーメーカーがそれを見逃さないはずがなく、最近はさまざまなかたちで協賛するメーカーが増えてきている。

 

 

 

 

  ミュルザンヌは、コンクールの表彰が行われる直前にその舞台上で発表された。対面した第一印象は、単眼の大径ヘッドライトだった。ここまで大径で正円のヘッドライトは最近では珍しい。

 

  中心部分にHIDユニットが配され、周囲はリフレクターだ。デザインのリソースは、間違いなく1924年から30年まで5回優勝したルマンカーだ。当時のルマンカーは巨大なヘッドライトを備えていた。

 

  ミュルザンヌのライバルとなるであろうロールスロイスのファンタムやゴーストなどが、小さなHIDユニットだけのフロントフェイスを形作っているのと見事に対照的で、面白い。ボディサイズは不明だったが、巨大な21インチのピレリ・Pゼロが目立ち過ぎて見えないことから、かなり長いはずだ。

 

  鋭く細いエッジがボンネットからフェンダーを走り、トランクフードにまで連なっている。リアウインドガラスの周辺にもエッジによる“峰”が一周しており、古典的な造形をモダンな方法で表現している。プロポーションは大幅に若返り、ディティールには細心の造形が施されている。アルナージからの変化の幅は大きい。

 

  舞台中央で、ベントレー・モーターズ会長のドクター・フランツヨーゼフ・ペフゲンが短いスピーチを読み上げた。「ベントレー・ミュルザンヌは、完璧に現代的なベントレーのフラッグシップカーです。先進技術が生み出す圧倒的な高性能と、ベントレー伝統のクラフトマンシップによる、きわめてエレガントで、スポーティな超高級車です」

 

  スタイリングとインテリアのフィニッシュから判断する限りでは、ミュルザンヌはベントレーの伝統を守りつつ、大幅に改められたと言えるだろう。伝統のV8ツインターボエンジンは定常走行中に半分の4気筒が停止するシステムを備えている。もちろん、それはエコという時代の要請に応えるためである。

 

  驚いたことに、ベントレーは、できたてホヤホヤのミュルザンヌをその晩のヒストリックカーのオークションに出品したのだ。

 

 

  約5億円で競り落とされた1925年のロールスロイスや4億1000万円で落札された1962年のフェラーリ250GTカリフォルニア・スパイダーなどに混じり、特別参加したミュルザンヌは50万ドル(4600万円)で競り落とされた。

 

  59回目の今年のペブルビーチ・コンクールデレガンスの総合優勝は1936年製のホルヒ853Aカブリオレだったが、抜群の存在感を示したもう一台は、間違いなくベントレー・ミュルザンヌだった。

 

 

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モータリングライター 1961年東京生まれ。自動車と自動車にかかわる人間についての雑誌記事や単行本を執筆している。主な著書に、『10年10万キロストーリー』(1~4)、『セナと日本人』、『地球自動車旅行』、『ニッポン・ミニ・ストーリー』、『レクサスのジレンマ』、『力説自動車』などがある。ここ数年、外国を長距離クルマで走ることが続いている。2003年には、東京からロシア・ウラジオストクを経由してポルトガル・ロカ岬まで自らのトヨタ・カルディナでユーラシア大陸を横断。2006年には、ダイムラー・クライスラーのイベント『パリ~北京』に参加し、ロシア・エカテリンブルクから北京までメルセデスベンツE320CDIで走破。2007年に引き続き、今年も、『トランスシベリア2008』に出場し、総合10位、クラス9位で完走した。
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