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覚えていらっしゃいますか、1995年、プラダの衝撃を


  私にとって1995年に見たプラダはまさに衝撃でした。プラダは1913年創業イタリアで創業された歴史あるブランドです。元々は、伝統的な手法によるバッグで知られていましたが、創始者の孫、ミウッチャ・プラダが、服や小物などを展開し、90年代に一躍ファッションブランドに成長したのです。そのプラダがメンズ版を作ると聞いたのは、ある有名店のバイヤーから。いつも冷静な彼がその服の素晴らしさを熱く語るのです。イタリアの友人に調べてもらったら、やはり国内でもそうとう話題になっている様子です。すでに「プラダッシマ=プラダ的」という言葉は業界では、言われているほどだと。実はそれまで「プラダ」という名前は知っていたのですが、商品などはよく知らず、単なる流行りものだと思っていたのです。当時私が編集していた『メンズクラブ』でも取材したことはありませんでした。でもまだメンズ版は現地で発表されたばかりで、店頭では見ることはできません。ジャパン社に取材を申し込んでも、やはりそれまでの取材の実績がない雑誌に、しかもトラッドなイメージでしたから、正直「けんもほろろ」な感じでした。イタリア現地取材も含めて、その「現象」すべてを誌面で、と提案すると、なんとかOKが出て、ファッション撮影とその周辺取材が許されたのです。


  はたしてミラノの本社でみた「プラダ メンズ」は当時としてはまさに革命的。見た目は非常にシンプル。ミニマムなイメージ。何の変哲もない黒やネイビーのソリッドな色のジャケットがひとたび着ると、素材にストレッチがブレンドされ、フィットしているのに着やすく、動きやすい。当時のスーツ類はナポリの名匠、チェーザレ・アットリーニが協力していたという話もあるくらい。カシミアセーターもストレッチが入り、少し着古したような優しいイメージに。パンツだって、ボタンフロントの職人風の仕立てなのに、素材は非常に重厚なウールにスパンデックスをブレンドしている。 「ポコノ」という工業用のナイロンを使ったバッグはプラダの代表作だが、その素材でもジャケットやコート、ブルゾンを作っている。



  「普通」なのに決定的に違う、しかも非常に機能性にあふれている。こんな服はありませんでした。革命的であり、21世紀を予感させました。大袈裟な言い方ですが「ファッション」を超越しているように見えたのです。



  さらに革命的だったと思ったのは、ショップでの販売法。これらの服が、すべて店では「色別」に販売されているのです。このラックはブラック、このラックはベージュ、このラックはネイビーというように、色別にアイテムが揃えられている。その年のプラダの押す色もわかりますし、好みの色のところにいけば、立ち所に商品が見つけられるのです。実際、プラダでも「全身、黒」みたいなコーディネイトを見せていましたが、単品だって非常に買いやすいシステムでした。

  当時私がいちばん欲しかったのは、ジャケットでしたが、デビューの年にはまだミラノでは売られていませんでした。「ロンドンにはあります」と言われ、泣く泣くあきらめました。ナイロン製のブルゾンやシャツ、パンツなどを現地で購入しましたが、もしあの当時の商品が今、手に入れたら、お金の許す限り、全部欲しい、と今でも思っています。プラダさん、また作りませんか、あの頃のプラダを。