様々なアートフェアの告知が送られてくるなかで、目を引いたのが五木田智央のDMだった。ここ数年、海外での展示が多かったので、なかなか現物を見る機会を得られなかったのだが、久しぶりの展示。会場もタカ・イシイギャラリーと聞いて、興味が高まった。
五木田の描き出すモチーフは、常々サブカルチャー的扱いを受けていたように思う。その昔、私が会社員として編集や広告に携わっていた時代(10年以上前か)、彼は当時「アントニオ・デザイン・サービス」というユニットで、鵜飼(ジェリー鵜飼)くんとデザインなんかも手掛けていた。その頃の活動も、決して “サブ”ではなく、私には“メイン”だと思えたし、着実に描き続けて、己と闘っていた話も未だ記憶に残っている。グラフィック全盛時代でも揺るぎない興味の対象を追い続け、あくまで納得できる活動を探求し、発表し、また失敗しては発表する、そんな彼を羨ましく感じたものだ。剥きだしの感情は素晴らしい。それほどまでに追い続けられる対象を明確に出来る時代ではなかった私には尚更だった。
決して変わらぬスタンス、そして絵に対する情熱は、見るものの脳裏に蓄積させる力をはらんでいたように思う。どういった括られ方をされようが、気にせず描き続ける強さは、今の私にも力を与えてくれる。近年のNYでの作品の評価や、某ハリウッド俳優が駆けつけ購入した話、レセプションでの売れ行き等、ある種ようやく訪れた評価に驚き、喜んだ。このまま海外での活動にシフトするのかと思っていた矢先に、ファインアートのギャラリー(タカ・イシイギャラリー)での展開。やはり、彼には“メイン”が相応しい、と。
ようやく見ることが出来た新作は、想像していたサイズ感を遙かに上回っていた。ガッシュを使用しているあたり、なぜかとても頷ける。線や面を探求する際に、ひとつひとつ時間をかけて探していくのではなく、次々試していきたい欲求もここに表れている。絵のモチーフの意味ではなく、その画材の質感から自然に生まれてくる塩梅に、感心させられるのだ。質感の追求はハマったら抜け出せない魅力が、そこには存在する。これだ、と思った瞬間にスイッチが入る。そこまでの道のりは、画力の追求とはまた別である。作品が大きい分、さぞかし闘ったのだろうと、勝手に推測してみる。
あと、以前海外での展示写真を見ていたドローイングの小さな作品群だが、これは数が異常に増えており、圧巻だった。壁を浸食しているかの如く、集合体としての1作品(600ほど)。画力は描く枚数に比例する証明のようだが、構成する1点1点が、彼の歴史を垣間見る気分になるので、ご覧頂く際には、引きの目線で全体を堪能した後に、時間をかけてひとつずつ見ていただけたら、面白いだろう。結構笑えます。額も手作りで、壁全体がキャンバスとして成立しているかの様。紙に鉛筆で描き続ける彼のライフワークとして継続して欲しい、進化しつづける作品と言えよう。
大きな声で「がはは」と笑う、酔っぱらった五木田くん本人が魅力的だということも補足しておきますが、個人的には、物欲が動いた作品でした。欲しいと思わせる作品はそれだけの魅力を証明していると、心から思うのです。