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童心 遠山敦


  何も考えずに「お絵かき教室に行きたい」と言い出した子供がいた。その子がなぜ“お絵かき”に興味を持ったのかは解らないが、幼稚園で一番楽しかったのは“かけっこ”と“お絵かき”だった。その子は昆虫が大好きで、夏休みは毎日、虫を追いかけていた。都会ではあったが、広場の雑草に入ってはバッタやカマキリを追いかけ、神社に行っては樹液を探したり、樹の根本を掘ったりした。何も考えないまま、採ってきた成果物を模写しては「なんかかわいそうだ」と逃がしに行く。そんな毎日だった。楽しかった記憶の多くに虫がいた。その純粋な気持ちを画用紙とクレヨンにぶつけていたその子は、小学生になり、“お絵かき”になんら解らない基準によって点数をつけられた。二重丸だった。満足だったが、何かしら疑問があった。その疑問は、正確さという基準が学校内に蔓延していたことに気づいてから、楽しくなくなった。その後、絵画教室にも通っていたが、友人が描いたひまわりの花びらがすべて緑だったことに驚き、「あー緑もいいなあ」と感じていたその横で、その友人は先生から「色盲」だと言われた。何かが途切れた。油彩に楽しみを見出していた子供は、その光景を目の当たりにしてから、すっかり描くことに興味を失い、絵画教室をやめた。

  そもそも表現を大人の基準のみで判断されることに疑問を感じる。自由であればいいとは思わないが、多くの才能は、無能な教育者によって可能性を潰されているのだといまだに思うことがある。出会いも、可能性も、運命に委ねられていると言うことか。誤解しないで頂きたいのは、教育は必要だし、助言も必要だと思っているということ。安易な自由主義推進派ではないということだけは補足しておく。

  先日参加した子供向けワークショップで、子供たちが絵の具まみれになって笑っていたという現場を体験した。表現しきれない喜びを感じた。企画には参加していたのだが、そのワークショップを仕切っていたのが遠山敦である。出会ってから10年ほど経つのだが、最初に小さなファイルを見せてもらった時から、私は彼の描く線と色のファンである。なんだか稚拙な表現かもしれないが、たくさんの好きなものに影響された純粋な蓄積が作品に見え隠れする、そんな印象を受けた。瞬間瞬間に得た衝撃や脳に少しでも記憶した出来事を、いかに自分の納得がいく線や面で表現できるか。そんな閃きを追い続けている画家であると感じていた。

 

 

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遠山敦 個展  「たす・ひく・たす」
Atsushi Toyama Exhibition
会場:未来画廊 mirai-garou
会期:2008年9月3日(水)~9月29日 (月)
http://www.mirai-gallery.com/

 

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Agent&Creative company 代表取締役兼プロデューサー。新しい才能に目を向け、プロデュースからディレクションを業務とする。ギャラリーとは異なり展示施設を持たず、人に力を注ぐ業務展開を行い、様々な才能を輩出。作家マネジメント及びプロデュースを手掛けながら、付随する業務を全てこなす。その他に、制作部門を独立させ<diffusion.>の代表も兼任。商業施設、広告等のアートディレクション、デザインも受注し、制作物のプロデュース、プランニングまで手掛ける。 http://www.philspace.com/