人間が各々の正当性のみを主張し、社会生活を行う。少し言い過ぎかもしれませんが、その延長線上に起こる出来事が、ネガティヴな結果になるケースが多いような気がします。社会で生活している者にとって、個人的主張を正しく行うことが不可欠な世の中ですが、個人の正当性は、あくまで「個人」で下した途中段階であり、その他の状況や立場を踏まえたものではないという事を、改めて認識した方がよいと感じています。「家族」という単位でも同じことですが、時代の変化と共に、その在り方は大きく変わってきたのは皆さん、当たり前のように実感していることでしょう。核家族化の問題、育て方の変化という観点ではなく、この国で、人間として生活する上での「塩梅」がポイントではないでしょうか。そこは果てしなくグレーゾーンであるが故に、明確な部分を追求する風潮があるのですが、「塩梅」に明確さはありません。「塩梅」そのものが、この国の良さなのかもしれません。
前フリが、長くなりましたが、先日足を運んだ、浅田政志『浅田家』という東京初個展。そこに、様々なヒントが隠されているような気がしてなりません。浅田政志の記念写真としての作風は、全て家族で成り立っています。そして、全てが意図的な演出の上で構成されています。
シーンとしては虚構であり、ある種ネタ的ニュアンスも感じられるのですが、そこには現実しか見えません。様々な衣装やシチュエーションによって創られた上での現実。フィクションから滲み出たノンフィクション等、言葉にすると評論家的ですが、なぜかそういう単語で片づけられない楽しさが溢れています。その楽しさというものは、見た目の笑いではなく、その被写体そのものから発せられている感情です。
特に素晴らしいのが母親の存在です。演じているという感じがしません。全てにおいて調和の役割を果たしていたり、ぼやけそうな部分では主張していたり、全てが自然でそのままなのです。幸せそうに見守っている暖かさというか、家族が集まっていることに対する感情がとても素直に出ているような、そんな印象を受けます。父親の主張感が感じられる作品もありますが、“内助の功”さながらの母親に私は家族におけるスタンスの潔さを感じ、深々と頭を下げるのでした。もちろん心の中で、ですが。
会場に貼ってあった本人の言葉がとても素晴らしかったので、ほんの一部ご紹介しますが、7月中旬に発売される作品集「浅田家」にも、そのテキストは掲載されておりました。全文はそちらで読んでください。
「自分で言うのも何ですが、こんなに思い出に残っていて、朝起きた瞬間に拝みたい写真は他にあんまりありません。もちろん寝る前でも。この写真集は、ひたすら協力してくれた家族と、力を貸してくださった皆さんへのお礼でもあります。そして、家族と、そこからつながっていくすべての方に見ていただきたいと思います。どこまでも広く。」
記念写真というのは、とてもパーソナルな想い出であり、そこにその時の人間関係が映し出されている分、様々な感情が渦巻くものです。なのに、こんなに他の家族の記念写真が欲しいと思ったことは初めてであり、その写真から伝わってくる優しさや演出なんかは、まさに「塩梅」でしかないと思うのです。希薄な人間関係を問題視する前に、身近な人とのコミュニケーションによって生まれる様々な歪みなんかも、実はとてもドラマティックなことなんだと再認識することが大切なのではないでしょうか。終始笑いが絶えない会場で、とても当たり前であった家族の絆を、まさか変化球で気づかされるとは思いませんでした。
浅田政志
浅田政志写真展「浅田家」
会場:大阪ニコンサロン
(大阪市北区梅田2-2-2ヒルトンプラザ ウエスト・オフィスタワー13階)
Tel:06-6348-9698
日程:2008年8月7日〜8月13日
浅田政志写真集『浅田家』
赤々舎
http://www.akaaka.com/
2,730円(本体2,600円+税)