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妄想の断片_SUPERNATURAL 伊藤桂司


  憧れの地、というと皆さん色々思い浮かべることでしょう。日本だと屋久島とかよく会話にも出てきますよね。どこか神秘性というか、まだ見ぬ幻想とでも言いましょうか、我々日本人の多くはどこか疲れを伴い、そのカラダを全く違う環境に置くことで、鈍った状況からの脱却を図ろうとするものです。

  こんな時、神秘性とはまた違う、どこか記憶の片隅に眠っている色褪せたものを感じたことはないでしょうか。子供の頃、まだ見ぬ海外の憧れのみで妄想に妄想を重ねて出来上がったテキサスの風景やカウボーイ、漠然とした力強い米国万歳な笑顔のブロンド、昔雑誌で見たハワイの写真等、情報の断片のみを重ね合わせて生まれた自分だけの印象の世界。日本にはサムライがいる、と思っていた海外の方々の頭の中も同じかと思いますが、こういう独特の作られた記憶という風景はトイカメラで撮ったような、ちょっと懐かしく、変わった色合いだったりもします。

  個人的には、憧れの地というと、中古レコード屋さんや、古本屋さんに存在する「探しても探しても、何故か辿り着かない永遠の探求」のような、そんな印象の方が強いのです。勝手に神秘化してしまっているのか、それとも理想はあくまで理想であり、現実との誤差を脳が勝手に素晴らしく調整しているのか、その塩梅というか、その誤差(もしくは間)を視覚的に描く力さえあれば、本当の憧れの地はどんな感じなのか、伝えることは容易になるのではないでしょうか。

  そんな魅力を作品で表現している作家が、伊藤桂司さんではないだろうか。

   

  以前お話しをさせて頂いたときに、作品の意図はあるけど、意味はあまりないといった類のお話しを伺ったことがあるのだが、意味がない、というのは桂司さんという発信側の話。私にとっては勝手な妄想の材料としては、とても意味があるのである。勝手にその魅力を独断で書くとするならば、前述した風景の断片や勝手に作られたまだ見ぬ地への憧れや、そこに渦巻く意識や葛藤、もしくは唐突に邪魔をしてくる雑念なんかが1枚の仕事として落とし込まれているのではないかと思うのです。手法的な部分や、仕上がりを、アナログであり、デジタルであるといった話はよく言われることかと思いますが、私はその表面的な魅力に関してはアートディレクターとしての目線だと言葉上では書かせて頂きますが、やはり「時間軸」という部分が気になって仕方がない。コラージュのネタが古いものからの引用とかそういうことでもない。
   


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伊藤桂司
伊藤桂司 個展『SUPERNATURAL』
日程:開催中〜3月27日 (金)
時間:12:00〜20:00(月曜休廊)
会場:ArtJam Contemporary
住所:東京都渋谷区恵比寿1-18-4 NADiff A/P/A/R/T 2F
Agent&Creative company 代表取締役兼プロデューサー。新しい才能に目を向け、プロデュースからディレクションを業務とする。ギャラリーとは異なり展示施設を持たず、人に力を注ぐ業務展開を行い、様々な才能を輩出。作家マネジメント及びプロデュースを手掛けながら、付随する業務を全てこなす。その他に、制作部門を独立させ<diffusion.>の代表も兼任。商業施設、広告等のアートディレクション、デザインも受注し、制作物のプロデュース、プランニングまで手掛ける。 http://www.philspace.com/