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私が生きている実感として感じるモノ、それが「リズム」である。

目覚めの行動や歩くスピード、信号の点滅等すべてがリズムによって存在している。会いたかったヒトに会えないのもリズムだし、会話が噛み合わないのもリズムなのだ。一定のリズムで揃えることが規則的な生活なのかもしれないが、私はそれができない。心拍数のように状況や気分に左右されるのだが、それが人間だと割り切ってる。そんな人間が出会うのも、別れるのも、リズム。「リズム感がよい」というのは、運動神経や音楽のみの話ではなく、素敵な生き方をしていると置き換えられるような気もします。意識的ではなく、ふらっと訪れる瞬間、インプロヴィゼーション的本能が奏でる「あ・うん」の可能性。

人生も、出会いも、コレがあるから、魅力的なのだろう。

内藤忠行という天才写真家は、ある意味、人生を“狂わされた”ジャズとの出会いをどう感じているのだろう。彼の心に宿っていた不確かなモノは、大きなうねりとなって「瞬間」を刻み続ける。写真機という“楽器”に心を奪われ、内藤は、確かなモノと対峙し始めたのだ。そこには被写体が写っているのではなく、内藤忠行という人間の生き様が色濃く焼き付いている。孤独と狂気から生まれる本物のジャズ。シャッターを押し続けた被写体はあのマイルス・デイビスであったことは有名だが、あの完全なる孤独に許された数少ない人間だったことを忘れてはいけない。マイルスに多大な影響を受けることで、探求の道はとめどなく長く続くことになるのだが、そんな旅を続けて育まれたアフリカへの愛情、そして血となり肉となった感動が、写真にはとどまらない活動の一歩となる。

 

  映像作品としてコラージュやソラリゼーションを多用し、独自の強弱を生み出した結晶ともいえる、シマウマとの共鳴「ZEBRA」シリーズはジャズから学んだリズムを捉えた傑作である。写真の域を越え、グラフィックにも突き刺さる縞模様は完全なるオリジナリティに到達。言い換えれば、大地への回帰を成し遂げた瞬間なのかもしれない。

  世界各国とのセッションを経ることで、明確になってきた自国のアイデンティティを掘り下げ、発表された「桜」シリーズは、美の極みだけでなく、曼陀羅を彷彿とさせるシンメトリックな大作へと昇華していく。写真と言ってはいけないような細やかな仕事とも感じられるが、私には、静より動の印象が強い。

音を感じる。

そう、リズムが音を発している。 静的な被写体に対しての語りかけなのか、生きている響きを感じる。 「庭」シリーズの日本の美意識を呼び起こす作品は、日本人として生きているという誇りを感化させる。“四季”を強烈に感じさせる作品群は、どこかで体験したようなデジャヴ的感覚を引き起こす。それは、「求めている」からであろう。

  作品に見られるのが、対象を愛するがこその距離感。そこに哀愁や美しさを感じるのだ。相手を理解しようとすればするほど、離れそうになったり、近づいたり。その感情が内藤忠行の人間性なのかもしれない。その状況に対する即興(インプロヴィゼーション)は、天才マイルス・デイビスの孤独な闘いを肌身で感じてきた人間だからだろうか。シリーズの「桜」「庭」に感じる究極な静けさは、精神的安らぎを求めざるを得ない自然の摂理なのかもしれない。

強弱のなかに見え隠れする強烈な優しさ。
内藤の写真、それは激しく、そして孤独である。

 

 

 

 

 

内藤忠行 プロフィールはこちら>>http://www.p-om.net/
Agent&Creative company 代表取締役兼プロデューサー。新しい才能に目を向け、プロデュースからディレクションを業務とする。ギャラリーとは異なり展示施設を持たず、人に力を注ぐ業務展開を行い、様々な才能を輩出。作家マネジメント及びプロデュースを手掛けながら、付随する業務を全てこなす。その他に、制作部門を独立させ<diffusion.>の代表も兼任。商業施設、広告等のアートディレクション、デザインも受注し、制作物のプロデュース、プランニングまで手掛ける。 http://www.philspace.com/