昨今のアートブームの煽りで、様々なアーティストが日本でも認知されるようになりました。現代アートといわれるコンセプト重視の作品がもてはやされる一方、日本独自の漫画的コンセプトを全面に出した作品も「from JAPAN」の代名詞として頻繁に情報露出をしています。海外での認知は様々ですが、日本の画家(アーティスト)はあらゆる意味で注目に値しています。多様化の一途を辿っていく動きはどのジャンル、業界も同様です。そのなかでも新たな才能を見つけ出すことは容易ではないのですが、業界や世界の今後の発展及び成熟に関わる重要な作業であるのは間違いありません。
そんななか、海外での評価からのリアクションがとても良く、作家自身のスタンスも含め今後大いに期待できる存在として「カワニシタカヒ」をご紹介しようと思います。新たな才能という基準がどこにあるのかという問題点はございますが、私は彼のファンであり、慌てないで、着実に進んで欲しい意味も込めて、エールを込めて、皆さんにも知って欲しいと思いました。カワニシが何年も賭けて手掛けてきた作品群を観ていると、「言葉とはいかに陳腐なものか」という感情に支配されます。様々な場所で私はこれを口にするのですが、彼の作品にはなぜか感情に訴えかける念を感じます。希望なのか、欲望なのか、嫉妬なのか、はたまた破壊なのか、その全ての刹那的感情(私には、です)が強引に私の心に飛び込んでくるのです。彼の作品には解説がありませんが、その理由として、観る側の人間本来の自由な想像力を引き出したいがための手法です。情報による植え付けではなく、観る側の思考をもクリエイトする材料、いや作品として取り込んでしまう計算なのか。作品は“観て頂くことにより完成する、存在する”そんな重要なことを教えてくれているのかもしれません。
カワニシの作品を支持してくださる方々が様々な業界(放送局、ファッション、骨董、鑑定士、財界、他)に跨っているということも、実はあまり知られていないのですが、彼の作品に支配された方々は、必ず心に強靱な力を欲している方々ではないでしょうか。見た目ではない、感覚的な何かを。そのなかにパリの有名セレクトショップ「L‘ ECLAIREUR(レクレルール)」の代表アルモン・アディダ氏も含まれています。残念ながら、今春予定されていたパリでの展示は都合により延期になりましたが、カワニシの野望は静かに、海外活動への標準を定めているはずです。
日本を代表する作家として、巷で囁かれている「NEXT MURAKAMI」とは異なった、新たなスタンダードとして、カワニシの作品に触れて頂きたい。
彼がこの数十年間に何を吸収してきたのか、それとも何も変わらないままなのか。
表現者として、生活者として、純粋に表現を続けてきた彼の“残骸”。近年新たなイメージで定着したアウトサイダーアート(精神的な意味に傾倒しない、あくまで自発的な表現)という分野にカテゴライズされてしまうこともしばしば。否定も肯定もしませんが、間違いなく言えることは、彼は独自の美学を退廃的に、
グローバルに発信できる希有な存在だということです。
もう、この時代、分野のカテゴライズは無用である。その括りを越えたからこそ、彼が注目されるべきなのである。
TAKAHI KAWANISHI
画家。愛知県出身/東京都在住。『DAZED JAPAN』創刊や『relax』復刊等なにかが生まれる時には彼の力が存在する。言葉にできない感覚(触感、や音感等)を絵に変換してきた作品は海外からの評価も高い。Irving Welshの『Smart Cunt』、Francesca Lia Blockの『Weetzie bat』の装画、H.P FRANCEのウインドウディスプレー、SOIL&"PIMP"SESSIONS「PIMPOINT」のアルバムアートワーク等フォーマットは面、立体、空間を問わない。