

ワインの香りや味わいは様ざまな思い出とともに心の中に眠っています。18歳の時、初めて口にしたのはドイツの白ワイン、ヴィクトリアベルクのシュペートレーゼ。ソムリエの試験に合格した日に飲んだのはテタンジェのコント・ド・シャンパーニュ。不思議なことですが、同じワインを飲むたびにその時の記憶が鮮明に蘇ってくるのです。
30歳の誕生日を祝ったのは仲間と始めた会社の事務所でした。レストランの開業を請け負うコンサルタントの仕事は実績のない我々に来るはずもなく、人手不足のレストランやゴルフ場のパーティーなど日雇いの仕事に精を出す毎日。そんなある日、昔のお客様からご接待のお席でワインをサービスするようご依頼の電話がありました。

以前勤務していたレストランでは高価なワインを沢山抜かせていただいた、ソムリエールにとっては大切なお客様です。しかし肝心のレストランが無いのですから受けようもなくお断りすると「お店はどこでもかまわない、君がワインを抜けるレストランを探しなさい」といわれました。
知人の紹介で何とかレストランが決まり私が持ち込んだワインはシャトー・ラトゥールの1953年と1959年、そして北イタリアのアンジェロ・ガイヤが生産するバルバレスコ・ソリ・ティルディン1978年。
私の思い描いたストーリーではラトゥールのオールド・ヴィンテージを比較して飲んでいただく事がメイン。バルバレスコ・ソリ・ティルディンはガイヤさんに大変失礼ながら花を添える程度の存在に考えていました。パリのワイン屋さんで見つけて大切に持ち帰ったシャトー・ラトゥールは宝物のようなワイン。どちらが美味しいかなんて決まっているはずでした。

そしてディナータイムは無事終了。お見送りに外まで出る階段の途中でお客様がおっしゃったのは「さすがにラトゥールはしっかりしているね。熟成の旨味を比較できたのは興味深かったよ。しかしバルバレスコにはびっくりしたね!あんなに美味しいイタリアワインがあるんだねえ。良いワインを選んでくれてありがとう」お褒めいただきながらも複雑な心境。
私が胸に抱くようにして運んだシャトー・ラトゥールを脇役に回したアンジェロ・ガイヤのワイン。イタリアの北西部ピエモンテ州で生産され、若い時にはスミレの花の香りが漂うワインです。バルバレスコ村の山道を登りきったあたりに醸造所があり、大きな鉄の門の奥に優美な建物がありました。ガイヤの本拠地でワインをテイスティングしながら18年前のお客様の言葉と情景を思い出していました。