日本で工場を続けるためには、確実な生産体制も必要だ。受注数を予測し、生地を入荷させ、出荷までのロスをできるだけ少なくするようにしている。なにせ、生地の裁断を行うCAMマシーンは、無地なら1分50秒で一着の生地をカットしてしまうのだ。黙って機械を動かしていたら、裁断された生地の山になってしまう。
10数年前、初めてナポリのテーラー、アントニオ・パニコを取材したときには、彼は「ウチにはミシンは一台もない」と言い切った。事実、工房を見せてもらうと、トラウザースさえも職人が手で縫っていた。シカゴの名スーツブランド、オックスフォード・クロージングにもミシンは数台しかなかった。ボタンホールを手でかがるのに10人以上のスタッフがいる。一昨年、ニューヨークでこの会社のオーナーに再び会ったときには「あのときのミシンは捨てたよ。さらにハンドメイドを増やしたよ」と笑いながら言う。確かに彼らの姿勢は尊敬できるし、作られる商品は素晴らしい。しかし一着ウン十万円以上もしてしまう彼らのスーツをおいそれとは買えないし、それはやはり特別な人のためのものだ。パニコなどのサルトのスーツは、カッター自身が行うフィッティングやカッティングに妙があるわけで、直に採寸してもらって、仮縫い、本縫いといかなければ、ナポリ流のサルトスーツの真髄は味わえない。スーツのためならイタリアに何度も通う、それぐらいできる人でなければ、彼らのスーツを買う資格はない、そんな気さえする。
しかしダーバンのスーツだって、縫製部門で250もの工程を経て作られる。アイロンや検針などの機械は導入されているが、仕上げや検品などもすべて人間の眼と手で行われる。20年近く製品の最終検品を行っている山下さんによると「バランスを見ただけでどこかおかしい」と気付くという。これだけの人の手がかかって、スーツ一着が作られているのだ。スーツでなくても、服には多かれ少なかれそんな要素が含まれている。ファストファッション全盛でスーツの低価格が進んでいるが、この事実を知ったら、とても安いスーツ、いや安い服は買ってはいけない、と思ってしまう。そんなことを感じたのが、今回の九州への旅だった。
(撮影/緒方栄二)