コラージュそのものは、モチーフの強さや色なんかで、全体の強弱に作用するが、桂司さんの作品にはそういった悪意(この場合は計算とコトバにも置き換えられるが)を感じることはない。ただ面白がって制作したという痕跡も随所に感じられる。無駄がない、というのは良い意味で使用されることが多いのだが、桂司さんの作品は無駄がないわけではない。語弊があるといけないのだが、ここでいう無駄というマイナスな意味での言葉は、かなり重要であり、ふとした瞬間に強烈な意味や力を発するというプラスの意味である。そこが先ほど書かせて頂いた、時間軸の間であり、記憶のなかでの突発的な断片ではないかと。その断片は、あらゆる世界からの情報であり、隙間であり、自らが選んだものではない。まったくもって偶発的に迷い込んだ代物である。ねじれていることの面白さを色彩でのバランスや3D的立体構成を使用した構図により、いったい私はどこに向かっているのか、何をしていたのかさえ解らなくしてしまう魅力。そう、何かしら暖かみのある色合いに隠された、発色の良いモチーフは、いつしか憧れの地へと誘いながらも、訳の分からない場所へと辿り着くトリック。いやトリップか。
日々、時を刻むたびに情報は増えていくが、その時間の新旧関係なく、その断片をひとつのカタチにするのはたびたびリミックスという音楽的視点から書かれることが多い。コラージュはリミックスと同じ意味と雑な解釈をすることで、洗練されたものにも映るのだが、桂司さんの作品にはプログレ的緻密な計算とアドリブ的な即興が否応なく、しかもけたたましく鳴り響く。ふと気づくとまったく綺麗な旋律に戻っているのに。私の憧れの地は、間違いなくこの類である。この先も脳が勝手に作り上げたあの地である。
まったくの蛇足になるが、京都へ訪問した際に「懐かしい」というフレーズをよく聞きます。若い世代が、その言葉を吐くのもなんだか不思議ですが、そんな力がその場所にある、のではなく、人間そのものに備わっている力なのだと言う方が色々愉快ですね。
脳内では、勝手に進行している“創造”が繰り広げられているという素晴らしい日々。
たまには付き合ってみてはいかがでしょうか、自分の脳味噌に。
伊藤桂司 個展『SUPERNATURAL』
日程:開催中〜3月27日 (金)
時間:12:00〜20:00(月曜休廊)
会場:
ArtJam Contemporary
住所:東京都渋谷区恵比寿1-18-4 NADiff A/P/A/R/T 2F