TOP > Culture > 自宅で体感できる、アートギャラリー > 負担と克服 Matthew Barney(マシュー・バーニー)
  このシリーズはライフワークとして約20年も続いており、「拘束のドローイング9」は日本を舞台にした映像作品として発表されました。記録することで発表してきた作品が、頭の中で新たな別人格が織りなすストーリーとして構成されていき、ドキュメンタリーと虚構が織りなす、いわば現実として飛び込んでくるこの作品。2時間半ほとんど台詞はありません。個人的には謎解き気分でしたので、飽きることなく最後まで堪能しましたが、やはり笑ってしまうのです。鯨と人間の関わりをも示唆した内容ではありますが、同じ哺乳類としての変容を関連づけて描いています。内容としてはラブストーリーというエッセンスが複雑に絡み合うのですが、この緻密な連鎖的組み合わせが、彼の造形的映像の最大の面白みであり、魅力なのでしょう。

  彼の彫刻作品にも多く見られる油性樹脂のワセリン。マテリアルセンスの長けた人物として、様々な評価を得ていますが、動的彫刻(崩れ去る彫刻作品)をここでは見ることができます。これがかなり美しい。この崩れ去るシーンは、彼の作品に一貫して感じられる“解放”を求める表現だったりするのですが、さきほども登場した “負荷”にまつわる一連のテーマがここで浮かび上がってくるのです。拘束からの解放や、負担を克服することで乗り越え、成長する一連の動き。そこに成長こそあれど、また同じ状態が巡ってきてしまうことに、私は興味を覚えました。我々は繰り返すのです。いわば、循環サイクルによって元に戻っているような錯覚に陥るのです。最初に取り上げた「クレマスター」の悲しげな美学も同様だと思われます。ただ、彼は自分の作品に希望を見出して欲しいという思いを含ませており、その循環は、試練でしかなく、その先に見えてくるものは、決して悲観的なものではないと、語っているような気もします。いや、そう思わないと、個人的には面白くないですね。

  学生時代に医学、美術、体育を学び、フットボール選手としても、モデルとしても活躍してきた彼の過去の経歴は、芸術家として彫刻や映像を発表した後も、彼の邪魔をする情報でしかなかったといいます。しかし、全てを呑み込んだ奇才は、順風満帆という評価の中で、淡々と循環構造の一部として、外的な自分、内的な自分を物体としてのみ切り刻んでいったのでしょう。私は、彼の作品には精神的な部分があまり感じられないのです。どちらかといえば、固体として、物質として、すべてを扱っているような、冷たさすら感じます。その冷静な取り扱いは、残酷に感じる一方、作品としての鋭さを際だたせています。

 

  パートナーであるビョークをも巻き込んだ、大掛かりな“笑い” は現代アートの頂点に君臨する彼のフリでしかなく、大きなオチはこの先に用意されている大スペクタクルの後なんだろうと、勝手な楽しみ方をしているのですが、「マシュー・バーニー:拘束ナシ」というドキュメンタリーが近々公開されるようですので、「拘束のドローイング」入門として見て頂くことをお奨め致します。私の解釈が間違っていたとしても、それもひとつの楽しみ方なので、放置しておいてください。その方が、残酷ですので。

 

 

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マシュー・バーニー:拘束ナシ
Matthew Barney: No Restraint
10/4(土)よりライズエックスにてロードショー!

2007年/アメリカ/カラー/71分
監督:アリソン・チャーニック
出演:マシュー・バーニー、ビョーク、ジャック・ヘルツォーク(建築家) ほか
配給:トモ・スズキ・ジャパン
協力:アップリンク、アニエスベー、コロムビアME、ユニバーサルミュージック、横浜トリエンナーレ2008
後援:アメリカ大使館
http://matthewbarneynorestraint.jp/
Agent&Creative company 代表取締役兼プロデューサー。新しい才能に目を向け、プロデュースからディレクションを業務とする。ギャラリーとは異なり展示施設を持たず、人に力を注ぐ業務展開を行い、様々な才能を輩出。作家マネジメント及びプロデュースを手掛けながら、付随する業務を全てこなす。その他に、制作部門を独立させ<diffusion.>の代表も兼任。商業施設、広告等のアートディレクション、デザインも受注し、制作物のプロデュース、プランニングまで手掛ける。 http://www.philspace.com/