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時計バブルが去った今こそ読みたい「ブランドビジネス」の功罪

篠田哲生プロフィール

  1月と3月に行われた時計フェアが終了し、それに伴う雑誌やウェブの時計特集もひと段落。ほっとした気持ちで、今年の時計事情を振り返ると、やはり「時計バブルの終焉と良質時計の復権」という言葉が頭をよぎります。


  思えばここ数年、各ブランドブースでは新興国の派手な買い付けが話題に上がっていました。あるブランドでは、子供が二十歳になったお祝いとして数千万円のトゥールビヨンを20本購入したと聞き、あるブランドでは、妻の人数分時計を購入し、それぞれに別の種類の宝石をセッティングするようにオーダーを掛けた云々。
 そんな富裕層ユーザーの気を惹くためか、多くのブランドが金無垢ケースを中心にラインナップし、普通のクロノグラフに600万円のプライスタグをつける始末…。一部のブランドとは言えないほど、一般の時計愛好家を無視した、商売ありきの時計作りが目立っていました。
 そんなモヤモヤとした環境もバブルの影響で大人しくなり、今年は価格的にも納得できる良質時計が増えたように思えます。

 

  それにしても、ブランドビジネスとは何と不安定なものなのでしょうか。(為替の関係もあるでしょうが)上下する価格や話題性重視の商品開発などは、一般ユーザーが不信感を募らせるだけです。
  そこで今回は時計ではなく『堕落する高級ブランド』(講談社刊)という本を紹介します。
  ハーパースバザーやヴォーグといった一流ファッション誌のファッションライターとして活躍したダナ・トーマスさんの著作で、高級ブランド(特にファッション)が直面する拝金主義ともいえる現状をえぐり出す内容になっています。


  この本には、かつてはファミリービジネスであった宝飾や鞄の工房に、外様のビジネスマンが入り込むことで、ブランド(=商標)が形骸化していく過程が書かれています。そして、大規模な資本注入の後、話題を集めるためのパーティーや名のあるデザイナーを起用して知名度を広げるのです。結果的に多くの人がそのブランドの商品を手に入れる(これを“高級ブランドの民主化”と呼ぶそう)ことになりましたが、一方で伝統は継続されず、ブランドCEOやデザイナーまでもが一つのパーツになってしまったと嘆きます。


 翻って時計産業はどうでしょうか? 私は幸運にもファッション業界の様な惨状には、まだ陥っていないと思っています。確かにグループ化や資本家の経営参加といった面は、ファッション業界と同じ轍を踏む可能性がないとはいえません。しかし多くのブランドでは、最大のスターは「時計」であり、それを構成する「ムーブメント」であり、さらには、それを生み出した「技術力」が称賛されるという土壌があります。


  スイス屈指のマニュファクチュールのマーケティング担当者は「ブランドの知名度を高めるには、良い時計を作ることに尽きます」と胸を張って答えてくれました。この精神がある限り、時計業界は大丈夫でしょう。
  しかも彼はこの不況を逆に歓迎しているとも言います。
  「この不況下でエンドユーザーは、対価に見合った時計が欲しいと真剣に考えるでしょう。そして我々は正直に時計を作っていますから、必ず正当に評価されると信じています。一方、ブランディングやニュース性だけで勝負しているメーカーは辛いでしょうね。“本物の時計”ではないことがバレてしまいますから」


  時計業界もあのバブルが続けば、形骸化した“高級ブランド”時計ばかりが市場に溢れることになっていたでしょう。しかし幸運にもバブルは崩壊しました。不透明な先行きへの不安感はあるものの、総じてブランドが「冷静さを取り戻した」のが、今年の時計フェアなのです。


  「成長することを恐れ、成長しないことを恐れ、また、あまりにも成長しすぎて、始末に負えなくなることを恐れる」。
  これは著者が“ブランドビジネスにおける特別な存在”だと考えるエルメスで、28年間トップに君臨したジャン・ルイ・デュマの言葉です。
  この言葉には高級ブランドとはかくあるべし。という信念が詰まっていると思いませんか。
  時計業界にもこのような信念を持つ経営者がもっと沢山登場することを期待します。


『堕落する高級ブランド』ダナ・トーマス 著/実川元子 訳 発行:講談社 1600円(税別)


  品質重視から利益重視へと変貌してしまった「高級ブランド」の栄光と矛盾を、ファッション・ジャーナリストが描き出したノンフィクション。ファッション業界が中心だが、時計業界にも通じる記述も多く、現在のブランドビジネスが抱える問題点が浮かび上がってくる。