福島にあった「おおたかどや山標準電波送信所」は震災の影響で停波していましたが、4月21日にようやく復旧しまました。もちろん電波時計は、電波を受信できなくても通常のクォーツ時計同様の精度で駆動しますから、時計としては、全く問題ありません。しかし今まで絶対的な高精度を誇ってきた電波時計にも弱点があったというのは盲点でした。電波時計もインフラが整って初めて機能するわけで、時計の世界にも"絶対"は無かったのです。
しかしここまでの"精度の価値"って必要なのかな? と思うことってありませんか。
現在、NHKでは時報を流しません。これはデータを圧縮して送信し、チューナー側で解凍するというデジタル放送の放送方式の場合、どうしてもタイムラグが生じてしまうから。
しかし、世の中の誰も、7時のニュースが7時ちょうどに始まらなくても文句は言いません。そこまでの本気の精度を求めていないからでしょう。
機械式時計も同様です。時計はしばらく使わないと、ゼンマイがほどけて時計がとまるので、使う前に時刻を合わせる必要がありますが、どれだけの人が本気で時間を合わせているのでしょうか?
ちなみに私は近似値でしか合わせません。だってモデルによってはリューズを上げても秒針が止まらないし、リューズを押し込んだ際に針が動くこともしばしば。NTTの時報で時計を合わせるなんてバカバカしくてやってられない。
どうせ正確な時間はケータイでわかるし、そもそも一分一秒が大切になるような用事は、電車に乗る時くらい。つまり機械式時計の"高精度"は、人間にとっては十分オーバースペックな機能なのかもしれません。
しかしながら時計は不要なのか…、というとコレはまた別の話。時計はアクセサリーであり、その人自身の"人となり"を示すアイテムですから、主張のある時計を着けるのが流儀。つまり、時計にはこだわるけれど精度には(それほど)こだわらない!というのが、現代人にあるべき姿なのでしょう。
そんな天邪鬼な私が、バーゼルワールドで発表された新作の中で最も気になったのが、シャウアー「ワンハンド ブラック Durowe 744 Movement」というモデル。一本の針が24時間で一周するワンハンドモデルのため、例え精度が高くても正確な時刻を知るのは無理。秒針が無いので動いているかもわからない。時計にあるまじき性質の時計だからこそ、"時間に縛られたくない"というメッセージが見えてきませんか。
ワンハンド ブラック Durowe 744 Movemen |