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沖縄・八重山――そして静かに時は行く。

 さて、そんな八重山の島々の中にあっても、西表島は際立って特異な存在と言えると思います。沖縄県内では本島に次ぐ大きさを持つ島。よそ者が考えたら、この島こそ八重山諸島の中心であってもおかしくはない気がします。しかし実際には、小さな小さな竹富島の名を冠した竹富町に組み入れられているのです。それほどに西表の自然は切り拓くのが難しく、人が容易には入り込めなかったということなのでしょうか。そしてそんな厳しい島だからこそでしょう、この西表島には、まるでひとつの奇跡のような場所が存在しています。それが「船浮」という名の集落。

 

 もし手許に沖縄の地図があれば、それを見てもらえればわかっていただけると思うのですが、なんと島にはこの集落に続く道は一本もないのです。たったの一本もですよ。普通、そこが島であれば、ぐるりと一周する道路が造られるはずでしょう。しかし西表島では、道路は島を一周していません。島の面積の90%がマングローブなどの原生林という、亜熱帯の自然の生命力が、それを許さなかったのでしょう。

 

 そう、この島はいわば“ミッシング・リンク”なのです。

 

 失われた円環――そのまさに失われた部分に、まるで取り残されたように佇む集落。島の中にありながら、その島のどことも結ばれていない場所。それがつまり船浮なのです。

 

 八重山は日本の南西端に位置しています。その中にあって“果て”といえば当然、西端の与那国島と南端の波照間島でしょう。

 

 しかし、この西表島の船浮集落も、間違いなくひとつの“果て”でしょう。わずかに島の道路の一方の終点である白浜集落との間に、一日4往復の舟の便があるだけ。そこは、孤島の中の孤島だからです。ちなみに船浮集落の人々は、陸続きの西表島の他の集落に住む人々のことを、「西表本島の人」と呼びます。

 

 嘘のような、ホントウの話。

 

 集落の中には立派な体育館も備えた船浮小中学校もありますが、2006年の春に私が訪れたとき、7人いた在校生のうちの3人が卒業を迎えたため、全校生4人になるとも聞きました。

 

 イリオモテヤマネコが発見された場所、というのもうなずける気がしてきませんか? そう、私は一度だけ、この船浮を訪れたことがあるのです。

 

 太平洋戦争中に日本軍が造った秘密基地の名残が、集落のはずれにひっそりと残っています。

 

 降り注ぐ陽光が創り出す影の中に、ただ黙ってうずくまっています。

 

 そしてそんな濃い影の中を通り抜け、集落の背後に広がる「イダの浜」という砂浜に出たその瞬間、私は言葉を失いました。

 

 それは……それこそがひとつの奇跡だったからです。青と白とに純化された静謐の入江。それがまったく無人のままに、ただ晴れわたった空の下に広がっている。こんな場所が、まだ日本にあったのか……。

 

 ワールズ・エンド。間違いなく、ひとつの“世界の果て”が、この西表にはあるのです。透き通るほどの憂愁を帯びて。どこよりも美しい形で。

 

 

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■ゆがふ山原
石垣市川平山原1216-621 (0980・84・4511
http://www.yugafu-yamabare.net/
石垣空港より車約30分

■ニライナリゾート
八重山郡竹富町上原10-425 (0980・85・6400
http://www.nilaina.com
上原港より車約10分(送迎あり)/
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