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記憶の中の風景 Vol.11 庄内―スロウフードへの美しき献身

 

 山形県の日本海沿いに広がる庄内地方。私は大学生のとき、自動車免許を取って初めての長距離ドライブ旅行が、この庄内の中心都市である酒田へのものでした。それ以来、美しい田園が広がるこの土地とは何か不思議な縁があるようで、それこそ数え切れないくらい、この土地を訪れています。おそらく訪れた回数でいえば、京都、沖縄本島と並んで、私の中でトップ3には入るのではないかと思います。いや、回数でいえば1位かもしれない。

 

 

庄内―スロウフードへの美しき献身   庄内―スロウフードへの美しき献身

 

 

庄内―スロウフードへの美しき献身

 それほど庄内を訪れる理由のひとつに、旅館「亀や」の存在があります。夏には海水浴場としてにぎわう湯野浜の海岸沿いに建つ温泉旅館。ここのデザイン感覚が素晴らしいんですよ。 ゲストルームに入れば、壁一面に切り取られた窓には、一枚の絵画のような日本海。窓に面して配されたソファに身をゆだねてそんな海景と向き合えば、それが日没の時間なら黄昏の中を漂うような感覚が味わえます。漆喰の壁に竹材の床。ベッドにソファ。白を基調にした空間では、絶妙な融点で和と洋とが溶け合っているのです。

 

 創業明治6年という老舗旅館ですが、しかしこの湯宿はただ伝統を墨守するだけの存在ではないのです。例えば食事処「龍宮殿」のデザインが、それを証明します。過剰な装飾を削ぎ落とし、直線の美しさと明暗の変化だけで空間を構成しようとする意志。そのシンプリシティは旅人の眼には気高くさえ映ります。

 

 この「亀や」は鶴岡市内にもう一軒、「湯どの庵」という温泉旅館も経営していますが、ここもいいですよ。やはり素晴らしいデザインセンス。しかも1泊2食1人約¥15,000。私は個人的には、この宿は“コストパフォーマンス日本一”なのではないかとさえ思っています。

 

  さて、庄内というとどこか地味な印象を持たれる方もいらっしゃるかもしれませんが、実際には数々のエポックに彩られた土地です。例えば幕末から現代に限って見てみても、話題は尽きません。

 

 例えば幕末の戊辰戦争の主役も庄内藩でした。新政府は会津と庄内を目の敵にし、この両藩を救うために奥羽越列藩同盟が結成されています。そうして起こった日本の歴史上最大の内戦にあっても、庄内藩は数に勝る新政府軍を最新鋭兵器をもって圧倒、連戦連勝します。実際、庄内藩は自ら開城するまで、一度として“負けた”ことはないのです。

 この江戸時代の話とちょっとリンクするようですが、近年の庄内は作家・藤沢周平の故郷としても知られています。いまもその作品が次々に映画化されるこの時代小説の名手は、「海坂藩」という架空の藩を舞台に、慎ましくも毅然とした倫理観に貫かれた作品を世に送り出しましたが、その海坂藩の描写には故郷・庄内の表情が色濃く投影されています。

 

 

庄内―スロウフードへの美しき献身   庄内―スロウフードへの美しき献身

 

 

 そして最近では、米アカデミー賞外国語映画賞のほか、日本アカデミー賞でも10冠を獲得した映画『おくりびと』の舞台としても、庄内は広く知られるようになりました。この映画では、鶴岡や酒田の建築や町並みが効果的に取り入れられて、作品の世界観を観る者に印象づけました。本木雅弘さん演じる主人公が勤めることになる事務所「NKエージェント」の社屋は、酒田の日和山公園のすぐ手前に残る、かつての「割烹小幡」。鶴岡の町には主人公の友人の母親がひとりで切り盛りしていた銭湯「鶴の湯」が、「鶴乃湯」と一文字違うだけの名前で実在しています(移転問題などもあるようですが)。

 

 

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亀や
山形県鶴岡市湯野浜1-5-50
Tel:0235・75・2301
JR羽越本線鶴岡駅より車25分
アル・ケッチァーノ
山形県鶴岡市下山添一里塚83
Tel:0235・78・7230
JR羽越本線鶴岡駅より車15分