表現することの全てがアートだと今回は言い切ってますが、それぐらいの考え方で接していくことで面白さが伝わるのではないかと。平面作品ばかりでなく、パフォーミングアートも内的に、強く影響を受けると思います。

たとえば「山海塾」の舞踏などでは、人間が生きていくうえで自然に「無」になろうとする意識だとか、「動」をつきつめたときにどういう動きを最初にするかだとか、そういう部分を真剣に考えることによって発せられた、ある種、「気」のような究極の表現を感じることができます。
  普段の生活において相手の「気」を汲み取るのは難しい。でもパフォーミングアートにおいては、その会場や舞台で、パフォーマーと観る人とが真正面から対峙できるというわけです。

パフォーマーのつきつめられた「気」を観客が感じ取り、それに応じて観客側も「気」を発する。その観客の「気」をさらにパフォーマーが感じ取って、新たな表現が生み出される。そういう即興性こそパフォーミングアートの面白さではないでしょうか。
 
 

やはり、即興性、つまりその場にいないと絶対に得られないものが、パフォーミングアートには存在します。

絵画や彫刻などの美術作品と違って、パフォーミングアートは所有できません。しかし観る者は、ある空間のある瞬間にしか感じることのできない強烈な共有体験を、そこから得ることができます。

絵画や彫刻を観て何かを感じても、目の前の作品自体が変化することはありませんよね。ところがパフォーミングアートを観て何かを感じれば、その感情は即座に目の前のパフォーマーに伝わります。パフォーマーは観る者の感受性に応じて、自らのパフォーミングを変えていくんです。ここには呼応もあるでしょうし、裏切りもあります。

  我々観る側は、発せられる表現を、「?」と思うこともあるでしょう。

ただ、この交信は未知数へのチャレンジだったりもするわけです。まるで、お互いの引力で自転と公転を繰り返す二つの惑星のように、それぞれの感性を同じ空間で呼応させながらも共有する不規則な体験。こういった体験は観る者にとって、単なる受動的な目線ではなく、自らの感性を能動的に参加させたことで生まれた、全く新たな体験となるはずです。しかもその体験はわれわれの感性を、より深く、鋭敏なものに変えていくのです。

あなたの研ぎ澄まされた感性は、世界のいたるところに存在する「表現」を今までとは違った目線で楽しむことができるはずです。