はじまりは、ある一人の誇り高き男
アウディの自動車およびエンジン製造の歴史は、ドイツにおける自動車設計のパイオニアの1人、アウグスト ホルヒの活動で始まった。彼はザクセンにあるミットワイダ工科大学を卒業後、マンハイムにあったカール ベンツに入社した。最初エンジン製造部に配属された彼は、後に自動車製造部を統括する立場にまでなったが、ベンツを退職し、1899年ケルンにホルヒ社を創立した。
ホルヒ社は、1902年にはザクセンのライヘンバッハ、1904年にはツヴィッカウに移転し、株式会社へと形態を変えた。しかし1909年、会社の経営陣、監督委員会との意見の相違を理由にホルヒは自ら会社を去り、ただちにツヴィッカウで第2のホルヒ社を立ち上げた。彼の姓は最初の会社で使われており、商標登録もされていたので、新会社の名前にはそのラテン語訳を採用した。もともと「聞け!」という意味のhorchがaudiになったのは、こんな経緯があったのだ。
モータースポーツへの参戦やドイツ初の左ハンドル車を発表するなど、着実にその名を世界に広めていったアウディだったが、世界恐慌による大不況に襲われた。自動車産業に対して行ってきた投資が危機に瀕していることを知ったザクセン州立銀行は、アウディ、ホルヒおよびツショッパウエル モトーレンヴェルク/DKWに命令を下し、1932年6月29日、3社合同によるアウトウニオンAGを設立させた。この新グループは、ヴァンダラーの保有する自動車デザインの買収およびリース契約を取り付けた。そして4社合同のシンボルとして選ばれたのが現在のアウディのエンブレム、フォーリングスである。
4社はそれぞれにもっていたノウハウを活かし成功を収めていったが、第二次世界大戦が勃発すると一般車両の生産は停止された。この時代最後のアウディ車が生産されたのは、1940年4月。それから25年間、アウディ車は製造されることはなかった。