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6月特集 心身を癒す、アジアリゾート -大自然と巨匠の建築美に触れる宿-

Vol.1 進化を遂げたアジアリゾート

  アジアリゾートにおいてこの方なくしては語れない、アジアリゾートの第一人者であり、リゾート取材歴30年、年間の180日を撮影に費やす写真家、増島実氏に話を伺った。
80年代後半から始まったアジアンリゾートの隆盛、今なお、世界のセレブリティ、ヨーロピアンを中心に勢いはとどまる事を知らない。アジア各国のリゾートを取材する増島氏にアジアリゾートがなぜ今日のような発展を見せたか、そのルーツについて語ってもらった。

 

 

増島実(リゾートフォトグラファー)
1948年東京生まれ。
東京工芸大学工学部画像工学科卒業。
アマンリゾーツによるブティックリゾート隆盛に伴い、景観デザインの鬼才ビル・ベンスリーやリゾート建築家レック・ブンナンとも交友を持つようになる。
現在も年の半分はアジアリゾート撮影に明け暮れる、日本におけるアジアリゾートの第一人者である。

 

 

 

 

アジアリゾート発展のルーツとは?

Vol.1 進化を遂げたアジアリゾート

アマンプロ / 増島氏が撮影した、マニラから南に300km離れたスル海に浮かぶ、パマリカン島にオープンしたアマンリゾート。長さ2.4km、幅500mの細長い島で、周囲は珊瑚礁に囲まれている。photo by Minoru "Mike" Masujima

 私が言うまでもないのですが、強いて言うなら、今や高級リゾートの代名詞ともいえる、アマンリゾーツの現会長・エイドリアン・ゼッカが、タイに第1号ホテルを作ったという事ですね。当時、エイドリアン・ゼッカの左腕と呼ばれていた広報部長の女性、トリナ・イバートとひょんな事から知り合い、私のアマンリゾートを撮った写真が「お前の写真はなかなかいい写真だ」と認められて、フィリピンのアマンプロというリゾートが、パンフレットを全面改訂するので、写真を依頼されたのがきっかけでアマンリゾーツとお付き合いをするようになりました。ともかく、そのゼッカという人が、アジアリゾート発展のキーマンなんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

アジアリゾート発展の立役者、エイドリアン・ゼッカ。

Vol.1 進化を遂げたアジアリゾート

フォーシーズンズ・リゾート バリ・アット・ジンバランベイ / 全室スイートタイプの超高級ヴィラリゾート。客室はフルキッチン完備の高級別荘のようなエステートと、海に面したエリアに点在するヴィラがある。

 ゼッカは土地の文化を敬愛する人で、その土地の文化的な意味合いがあれば、それを建築とか、ランドスケープに取り入れていました。そして、たとえ単価が高くてもホテルはサービスだと定義したのです。

 

 最初は一部屋に6人もバドラーや使用人を張り付けて1泊300ドルとしました。それは1987年ですよ。その当時で、300ドルもとるわけですよ。そうして始めたのが、タイ・プーケットの第1号ホテル、アマンプリ。いざオープンしてみたら、評判がとても良かった。

 

 それから、エイドリアン・ゼッカは国籍こそ違いますが、元々インドネシアの人で、バリに土地を持っている人や、知り合いがたくさんいて、その人たちの協力のもと、ホテル3軒分を昔からの知り合いのアーキテクチャーに頼んでね、一斉にオープンさせたんです。それらが瞬く間に評判になり、確かな反応を実感していたら、その年にジンバランにフォーシーズンズがオープンしました。アマンリゾーツ広報のトリナ・イバートが言うには、建物はウチよりも、もっと大規模でバリ建築のいい建物だと評価し、大成功を収めました。それが、まずアジアリゾートが隆盛に至るルーツでしょう。

 

 

 

 

アジアリゾートの魅力のひとつは、巨匠の建築にあり。

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ヘリタンス・カンダラマ / スリランカ出身の世界を代表する建築家、ジェフリー・パワ氏が手掛けた。アマンリゾート代表、エイドリアン・ゼッカ氏が影響を受けたと言われている。photo by Minoru "Mike" Masujima

 よくアマンリゾートはスリランカの建築家、ジェフリー・バワの影響を受けていると言われています。それは、ちょうど1980年代の半ばに、バリが国をあげて観光を盛り上げようとなった時に、インドネシア政府がバリの観光の為に一大プロジェックトを立ち上げ、どうやったらいいホテルになるのか、誰かにお手本を示してもらおうとしたところ、スリランカを代表する建築家ジェフリー・バワに白羽の矢が立ちました。彼と親しい友人であった、アマンリゾートのディレクターであり、オーストラリアの建築家のケリー・ヒルやマデ・ウイジャヤなどバリの主だった建築家に呼ばれて、彼が図面をひいたんです。その一号がタンジュン・サリというリゾート。「タンジュン・サリ」の門なんかは、ジェフ リー・バワが設計したんですね。

 

 そういった時に教えを請うたのが、ケリー・ヒルやマデ・ウイジャヤだったんですよ。そしてジェフリー・バワのデザインはシンメトリーのデザインが多かった。当時はシンメトリックなものが良いとされていたんです。

 

 

 

 

 

 

アジアリゾートの進化は、コンテンポラリー×大自然の融合にあり。

Vol.1 進化を遂げたアジアリゾート

ザ・バレ / ミニマミズムを基本にシンプルで洗練されたインテリアと白い石材を多様し、デザインホテルの先端を切ってスタートした。建築は様々な賞にも輝いたアントニー・リウ氏。

 ケリー・ヒル以降、コンテンポラリーなデザインが多くなりました。その影響があったリゾートといえば、バリの「ザ・バレ」でしょう。2002年に、大型リゾートホテルばかりが建ち並ぶヌサドゥアに、いわゆるコンテンポラリースタイルの白を基調にしたリゾートとしてオープンしました。それまではバリスタイルといえば王朝風、ヤモリ = Gecko(ゲッコー)が柱にカービングを施されたものが多く、モノトーンを基調としたデザインは流れを変えた、と言っても過言ではないでしょう。

 

 こうしてコンテンポラリーデザインのスタイルが、バリのスミニャックやクロボカンを中心に増え、タイなどにも増えていきました。まずは、エイドリアン・ゼッカがいて、アマンリゾート、フォーシーズンズが大成功を収めた。それが今日のアジアリゾートに至った形です。

 

 

 

 

 

 

Vol.2 Coming Soon

 

 

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